2012年5月30日水曜日

♪ハイドン

最近、娘がハイドンのソナタを練習しています。
ハイドンのピアノソナタや弦楽四重奏曲などのCDを流したり、私自身も娘のさらっている曲を弾いてみたりしているうちに、改めてハイドンの音楽についていろいろな思いをめぐらしています。

娘はハイドンの前はモーツァルトに取り組んでいましたが、モーツァルトに比べると、ハイドンの音楽は第一の印象としてとてもカラッとしていると思います。
おひさまでよく乾かした布団やマットのような心地よさがあると思います。
「ハイドンの曲はお菓子でゆうとラスクみたいだ」と私が言うと、娘は「いいや、こんぺいとうだ」と言っていましたが…(._.)

ハイドンの音楽を聴いたり、演奏したりしていてもうひとつ感じるのは、常にニュートラルな精神状態を保ちながら楽しめるということです。
ロマン派の音楽や、同じ古典派のモーツァルトでも、音楽に入り込むうちに、感情が昂ぶったり、夢を見すぎたりして、非日常的な不安定な精神状態になりがちで、そんな状態の時に突然インターホンが鳴って来客があったりすると、シラフの状態を取り戻すのにあたふたしてしまったりしますが(^_^;)、ハイドンの場合はまずそういう危険がないのではないかと思います。

清澄でロマンチックでとても感動的なのに、決してそれで正気を失わせることのない暖かい包容力があると思います。

曲の中である程度の緊張が高まってくると、ふっとユーモアをみせて笑わせてくれたり、そうかと思うと情熱的なリズムをはさんで気づいたらそれがはじけるような楽しさに変わっていたり♪
1曲の中でたくさんのすばらしく豊かな感情を味わいながら、決してバランスを失うことはない、安心して身を任せることができる、そんな音楽だと思います。

たとえ悲しみの表現であっても決して人を必要以上に切なくさせず、人々が人生を肯定できるようしっかり支えてくれている、そんな感じでパパハイドンという呼び名がぴったりだと思います。

ハイドンは、性格的にもバランスのとれた人望の厚い人だったようですが、そういう人柄が音楽に反映したということもあり、また時代的な要求もあったと思いますが、ハイドンが人生に様々な苦難を抱えていたことを思うと、彼自身が音楽の中にそういった精神の均衡を強く求めていたような気がします。

ハイドンの音楽と一生を通してずっとつきあっていきたいと思っています。





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